廃刀令から和装文化へ - 組紐の転換点
歴史の転換点明治時代、廃刀令で刀剣の飾り紐としての需要が消滅し、組紐産業は絶望の淵に。しかし江戸の深川芸者が亀戸天神の太鼓橋を渡る際、組紐製の帯締めで背中高く結んだ帯が評判に。これがお太鼓結びの始まりとなり、組紐は和装文化の必需品として復活を遂げた。
伊賀忍者の里として知られる三重県伊賀市で作られる、色とりどりの絹糸が織りなす手組紐。光を受けて輝く美しい色彩と、しなやかで強靭な質感が特徴。忍者の秘密厳守の地域性や、正座で行う組紐が娘のしつけとして重視された家族制度など、伊賀の文化と深く結びついて発展。映画「君の名は。」で注目され、現代ではブレスレットやストラップなど新しい形でも親しまれている。
Philosophy
武士の刀から和装の帯締めへ、そしてアクセサリーへ——伊賀くみひもの歴史は、「用」が変わっても「美」は受け継がれることの証です。時代が変われば求められるものも変わる。しかし、絹糸を一本ずつ組み上げる手仕事の本質は変わらない。それが伝統工芸の強靭さです。
History
奈良時代以前に遡る起源を持ち、仏教伝来とともに大陸から伝えられた。当初は経典の装飾や袈裟に用いられ、平安時代には貴族の束帯、鎌倉時代には武士の甲冑、江戸時代には刀剣の飾り紐として発展。明治35年(1902年)、廣澤徳三郎が東京で江戸組紐の技術を習得し、伊賀に組紐工場を開設したことが近代産業としての始まり。廃刀令後は帯締めや羽織紐として和装文化を支え、現在では手組紐の国内生産の約90%を占める。1976年に国の伝統的工芸品に指定。
Technique
絹糸を主原料に、角台・丸台・高台・綾竹台などの伝統的な組台を使い分けて組み上げる。糸染めは「丸染め」「絞り染め」「ぼかし染め」で行い、組み方は平組・丸組・角組の3種類に大別される。高台では70手近くの重りを操り複雑な柄を組み出す高度な技術が用いられる。手組紐は正座で行われ、組台は嫁入り道具の一つとして伊賀の家族制度の中で受け継がれてきた。工程は糸割り→染色→糸繰り→経尺→撚糸→組みあげ→仕上げの7段階。
Gallery
Process
全7工程
絹糸を組紐の模様に応じた色数と本数に分け、必要な量を正確に計量して各色ごとに束ねて準備する
丸染め・絞り染め・ぼかし染めなどの技法で絹糸を所定の色に染め上げ、乾燥させて発色を安定させる
染め上がった絹糸を糸車で丁寧に小枠に巻き取り、組み上げ作業に適した均一な長さと張力に整えていく
組紐の長さに合わせて糸の長さを揃える経尺を行い、各糸束を重りに取り付ける準備をする
組み上げる前に糸に適度な撚りをかけて強度としなやかさを持たせ、組み上げ時の扱いやすさを高める
角台・丸台・高台などの組台に糸を掛け、平組・丸組・角組の技法で重りを操りながら複雑な柄の組紐を組み上げる
組み上がった紐の房を整え、蒸気をあてて形を安定させた後に検品を行い、用途に応じた長さに裁断して完成させる
Artisans
初代(伊賀組紐の祖)
組紐工房 廣澤徳三郎
明治35年(1902年)、東京で9年間にわたり江戸組紐の技術を習得した後、故郷の伊賀に戻り組紐工場を開設。伊賀における近代組紐産業の礎を築いた人物。
制作哲学
伊賀の地に組紐産業を根付かせ、地域の産業として発展させる。
3代目
東京の大学卒業後、名古屋でコンピュータ関係のサラリーマンとして働く。30歳で帰郷し家業の組紐製造を継ぐ。まったく初めての人たちに仕事を教えるために、自分自身も懸命に技術を磨いた。車で奈良や滋賀まで走り回り、組子(内職の組紐職人)を探し続けた。
制作哲学
帯締めだけが一人歩きしてはダメだ(父の教え)。着物全体の調和の中で組紐が活きる。
“父は自転車で回れる範囲の組子さんにしか仕事を頼めなかったが、私は車に乗れたので遠く奈良や滋賀にまで走り回った
5代目
くみひも平井(平井兼蔵商店)
福井県高浜町出身。前職はシステムエンジニア。結婚を機に有限会社平井兼蔵商店を継ぎ、5代目として65年以上続く組紐製造元を率いる。伊勢内宮前のおはらい町に直営店を構え、全国の百貨店催事にも精力的に出展。「作る」だけでなく「届ける」ことの重要性を追求している。
制作哲学
お客様に使っていただかなくては、組紐を守っていけない。時代に合ったものを作り続けていきたい。
“「手組みでしかできない組紐を——伝統の技で繊細な美しさを、現代の暮らしに届けたい。」
3代目・伝統工芸士
松島組紐店(くみひもstudio荒木)
1932年(昭和7年)創業の松島組紐店の3代目。伝統工芸品「組ひも」の認定試験に最年少で合格し、伝統工芸士の資格を取得。三重県組紐協同組合副理事長を務める。高台・角台・丸台・綾竹台のすべての組台を使いこなし、帯締めや組紐小物を制作。2017年にはLEXUS NEW TAKUMI PROJECTで三重県の「匠」に選出された。長男・健太と次男・康貴が後継者として、組紐技術を応用した新作品開発やワークショップを通じて伊賀くみひもの魅力を広める活動を展開している。
制作哲学
伝統的な組紐の技術を守りながら、靴紐や腕時計のバンドなど現代の暮らしに寄り添う新しい組紐の可能性を追求する。
藤岡組紐店・職人
藤岡組紐店
大学卒業後、会社勤務を経て藤岡組紐店の4代目・藤岡潤全と結婚。伝統工芸士の母・藤岡恵子と夫の指導のもと組紐技術を習得。高台による高麗組を得意とし、1本の帯締め(約150cm)に1〜2ヶ月をかけて制作する。全国の百貨店等で実演販売活動に従事するほか、若手女性職人グループ「凛九(りんく)」のメンバーとして活動。他工芸とのコラボレーションを通じて、組紐の新しい可能性を探っている。
制作哲学
着物に興味を持ってもらえるような帯締め作りを心がけるとともに、他工芸とのコラボレーションを通じて新しい組紐の可能性を探っている。
“技術だけに走ってはいけない。どんなに素晴らしいものを作っても、それが職人の独りよがりでは何の意味もない。
Stories
明治時代、廃刀令で刀剣の飾り紐としての需要が消滅し、組紐産業は絶望の淵に。しかし江戸の深川芸者が亀戸天神の太鼓橋を渡る際、組紐製の帯締めで背中高く結んだ帯が評判に。これがお太鼓結びの始まりとなり、組紐は和装文化の必需品として復活を遂げた。
伊賀組紐の最高峰である高台では、ベテラン職人が70手近くの重りを操り、複雑な柄を組み出す。正座で組台に向かい、シャッシャッと糸が擦れる音だけが工房に響く。一本の組紐に込められるのは、職人の無心の時間と、何百年も受け継がれた技の集積だ。
伊賀では、組紐の高い技術を持つ娘は重宝され、嫁入りの条件になっていた。組台は大事な嫁入り道具の一つ。正座で行う組紐作りは、娘のしつけとして家族制度の中で受け継がれた。忍者の里として秘密を厳守する地域性も、門外不出の柄を守る組紐文化とマッチした。
手組紐の全国生産高の約90%を占める伊賀。日本中の和装を支える、知られざる産地。大阪と名古屋の中間に位置し、養蚕が盛んで絹糸の入手が容易だったこと、京都に近く和装の本場との繋がりがあったこと。様々な条件が重なり、この地に日本一の組紐産地が生まれた。
「まったく初めての人たちに仕事を教えるために、自分自身も懸命に技術を磨いた」と語る増井さん。かつて伊賀地方に3000人以上いた職人も、外国製品に押され三分の一に激減。それでも伝統を守るため、車で奈良や滋賀まで走り回り組子を探し続けた。
FAQ
伊賀忍者の里として知られる三重県伊賀市で作られる、色とりどりの絹糸が織りなす手組紐。光を受けて輝く美しい色彩と、しなやかで強靭な質感が特徴。忍者の秘密厳守の地域性や、正座で行う組紐が娘のしつけとして重視された家族制度など、伊賀の文化と深く結びついて発展。映画「君の名は。」で注目され、現代ではブレスレットやストラップなど新しい形でも親しまれている。
伊賀くみひもは三重県伊賀市で生産されている織物です。1976年に経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。
絹糸を主原料に、角台・丸台・高台・綾竹台などの伝統的な組台を使い分けて組み上げる。糸染めは「丸染め」「絞り染め」「ぼかし染め」で行い、組み方は平組・丸組・角組の3種類に大別される。高台では70手近くの重りを操り複雑な柄を組み出す高度な技術が用いられる。手組紐は正座で行われ、組台は嫁入り道具の一つとして伊賀の家族制度の中で受け継がれてきた。工程は糸割り→染色→糸繰り→経尺→撚糸→組みあげ→仕上げの7段階。
三重県伊賀市の産地工房・直売所や、全国の百貨店・専門店でご購入いただけます。 産地では制作体験ができる工房もあります。三重県の工芸品については三重県の伝統工芸品一覧もご覧ください。